「カツ丼が食べたい」「ラーメンがいい」「ステーキ」いや「寿司」「天婦羅」。食べたいものを数え上げればきりがありません。「美味いものを食べたい」と思うことは普通のことです。「給料日だからちょっと贅沢を」と考えいざ出発。
レストランのメニューには、美味そうなものがズラリと並べられています。「どれにしようか」なかなか決められずにいると、隣の席に焼きたてのハンバーグが運ばれてきました。肉汁のはじける音、デミグラスソースの匂い。「これにしようかな」と思ったときに向かいの席にはペペロンチーノが。ガーリックオイルの香りが食欲をそそります。さてさてどれにしようか、また迷ってしまいます。
あれ、でも食べるものに迷える今って、何かおかしくなっていませんか。選ぶことに迷うほどの選択肢が存在する今、「ある」ということが当たり前になりすぎて、「欲しいものが何かわからない」こんな状態、ちょっとおかしくありませんか。
足りないことが心を動かして、足りないものを満たそうと努力すること。これが人の行動の基本にあります。欠乏に気付くから人は成長しようと努力し、欠乏が人の成長を促します。60年前には食べるものが無く、毎日空襲警報に怯え、隣で人が死んでいく状況でした。このとき、平和な時間が欠乏していたから、食べるものが無かったから、みんな一生懸命勉強をして、働いて、平和な今をつくってきたのでしょう。
今はどうでしょう。「足りない」ことに気付く必要が無いほど「与えられた」状況の中で、人は成長するのでしょうか。「勉強しなさい」「興味を持ちなさい」といっても、はたして心に響くでしょうか。気付かないまま「大きく」なってしまうのはわれわれ大人の責任です。結果を嘆くより、まずは「足りないこと」を気付かせなければ。
欠乏動機の先に、成長動機があります。「五蘊皆空」成長動機のレベルになったら考えましょう。