ぼくの前に広がる世界。谷の淵に立って底をのぞきこもうとしたが足が震えてしまった。恐ろしくて見ることができなかった。後ろにはどこまでも続く荒野。石ころと砂の大地。砂埃を巻き上げて風がとおり過ぎていった。あてもなくぼくは谷に沿って歩いていた。
つまずいて転びそうになりながらぼくは歩いていた。風が吹き抜けていった。どのぐらい歩いてきたの。どこから歩いてきたの。ぼくにはわからない。ぼくの足跡は砂塵に消えてしまった。
大地に足を踏み入れたらもっとわからなくなる。けれどもこのまま歩き続けたら足を滑らせて谷底に落ちてしまう。どっちでもいいかな。どっちもいいかな。どっちでも。
陽が沈み、空は茜色に染まっていく。後を追うように月が消えていく。
そしてあたりは薄暗くなり風が寒気をぼくに運んできた。あたりが見えなくなっていく。ぼくは歩くことをやめ岩に腰を下ろした。凍えた手を見つめながら考えた。ぼくはどうやってここに来たの。どうしてここにいるの。わからない。今日はいつなの。ここはどこなの。ぼくはわからない。ぼくは誰なの。
太陽の跡を追い繊月はよみがえる。
ぼくはここに座っていてはいけない。歩き始めなければならない。前に進まなければいけない。けれどぼくは踏み出せないでいる。
ぼくはわかっている。谷に背を向けて歩きださなければいけないことを。ぼくはわかっている。前を向いて歩かなければいけないことを。ぼくはわかっている。ぼくの手ぼくの指ぼくの足ぼくの首。ぼくのすべてがそうしてきたと言っている。
立ち止まってはいけない。歩き続けなければいけない。立ち止まったらおしまいだ。後ろに下がったら倒れてしまうかもしれない。死んでしまうかもしれない。ぼくはそう思いながら生きてきた気がする。いつも何かに急き立てられて生きてきた気がする。歩かなきゃいけないんだよね。
朝になったら歩き出せるかな。陽が昇りぼくは前に進めるかな。どこかに向かって歩き出せるかな。それまで体を休めなければ。石ころだらけで横になれない。朝まで膝を抱えてこのまま眠ろう。
わかっているのは陽が沈み辺りは闇に包まれたということだけ。風が吹いてぼくの体は凍えていく。もうすぐ眠りに落ちていく。
あしたは来るの。陽は昇るの。月は満ちるの。
ぼくは歩き出せるの。前に進めるの。ぼくにはわからない。
ぼくはどこから来てどこに向かって行くの。
眠りは覚めるかな。
そしてどうなるの。
いまのぼくにはわからない。