一斉介助から随時介助へ―ゆとり教育と働かせ方改革
私はひとを性悪説の立場で見ることが苦手で、性善説の立場で見てしまう癖がある。簡単に人を信じ自分と同じように動いてくれると思う癖がある。そして自分と同じように動かないと裏切られた、騙されたと簡単に思い怒りに任せて行動してしまう。どれだけ失敗してきただろう。いくら失敗してもひとつも学んでこなかった。「バカだな」と自分で自分が嫌になる。
「ひとは尊厳が無ければ生きられない」と何度も訴えてきた。「オムツしているんだから安心してそこにおしっこをしてください」という言葉がどれだけ患者や利用者、そして家族の心を傷つけ、尊厳を踏みにじっているか。25年前に認知症の医療、介護を目の当たりにしておかしいと思ったこと、許せないと思ったことを訴えてきた。騒ぐからと薬で鎮静され、歩くとこ転んで骨折するからと車いすに座らされ続けて、医療(看護)や介護の日常の中で尊厳を奪われ表情、感情を失っていく人たちを自分もたくさん作った時期があった。その反省に立ちこれまでしょうわを運営してきた。看護専門学校、大学でも同じことを教えてきた。すでに1500人以上の学生に話をしてきた。介護老人保健施設協会の研修でも、医師をはじめとしてコメディカルの方々に訴え続けてきた。何百という人達がしょうわで実習を受けてきた。民生委員や老人会、他の施設のスタッフなどどのくらいなるかわからないほど見学者を受け入れてきた。ほとんどの方はわたしの考えに共感した。おむつにおしっこをさせることがどれだけ患者や利用者、家族の尊厳を傷つけ、表情や感情を奪っているか理解した。しかし、現実の医療(看護)や介護の現場は何も変わっていない。厚生労働省が音頭を取ったから身体拘束はそれなりに問題視されるようになった。それでもなくならない。できない理由を探して、必死に言い訳しながら自己弁護をする現場がたくさん存在する。尊厳についてわかっていても時間が無い、人手が無い、仕方がないと言い訳ばかりしている。
わたしは、ひとは誰も「考える」と思っていた。ひとは誰も「考え」「工夫」「努力」することが普通だと思っていた。しかし、どうやらわたしの考えは間違えていたようだ。もし誰もが考えるのならば、世の中はもっと変わっていたはずだ。もっと違った医療(看護)、介護になっていただろう。
これを読まれているみなさんは、「一斉介助」という言葉をご存じだろうか。言葉の通り一斉に介助を行うことを言う。では一斉とは何を一斉に行うのか。排泄介助、食事介助、寝かしつけ(ベッドに寝かせること)、おやつ介助、レク介助。少なくとも急性期を終わった患者が入院している病棟、介護施設で日常的に行われている。定時(決まった時間)に定型業務(決まった介護)を行う。おむつ交換車なるものが存在し、時間になると各部屋を順番に回りおむつ交換をする。ちなみに9時の交換直後の9時30分に失禁してもすぐに交換されることはない。次の13時まで交換は行われない。食事は11時45分から開始。13時からオムツ交換があるのでそれまでに利用者は全員ベッドに寝かせなければならない。そうすると12時15分までに食事は終わらせ、その後は寝かせつけを行わなければならない。だからスタッフは時間で利用者を一斉に介助する。すべての業務、つまり利用者をどうするかということは介助するスタッフの都合で行われる。14時ころに施設を見学すると、ほとんどの施設で利用者を目にすることが無い。いても2、3人といったところか。見学者は静かで落ち着いていると思う。安静確保の時間だから寝たい、寝たくないに関係なく利用者は一斉にベッドに寝かされているから誰もいないのは当然のこと。この一斉介助が尊厳を奪い、個性を埋没させる。諸悪の根源だ。しかし、誰も変えようとしない。経営者、スタッフはみな何の疑問も持たず淡々と業務をこなし1日が過ぎていく。そして今日1日が終わっていく。
わたしは一斉介助が嫌いだ。その人に合わせた対応をとることが目標だ。そう考えて随時介助を提唱してきた。しかしこの20年やってきても上手くいかない。スタッフに強く求めるとやめていく。当たり前のことをするように行っているのに辞めていく。誰もが「そう思う」と共感する介護をするように指導しても辞めていく。わたしの言い方悪い。怒鳴り散らす、暴れる。当然わたしのやり方が間違っていた。だから人は辞めていった。わたしのやり方が悪かったからスタッフは辞めていった。でも、もしわたしの考えは間違っておらず、わたしのやり方が悪いだけだったら。わたしの考える随時介助を理解していたら。辞めていったスタッフは次の職場でわたしの考えを継承していくはずだ。少なくともそうしようと努力するはずだ。そう思っていた。けれど現実は、多くのスタッフは一斉介護を受け入れ、それに馴染んで行ってしまっている。抵抗しているのはほんのごく一部だろう。
わたしの考えが間違っていたのか。だから受け入れられないのか。いや、違う。わたしは間違っていない。
一斉介助をやめるためには、スタッフの働き方を変えなければならない。今までは、スタッフ一人一人が「目の前の利用者が何を望んでいるか」を考え行動することを求めていた。しかし、多くのひとは自ら考え、行動することが習慣化されていないということにわたしはようやく気付いた。言われなければ動かない。指示されなければ動けない人が大多数だということに。では、どのように指示を出せばよいのか。どのように人を動かせばよいのか。その答えのひとつとして、IT、AIを用いたシステムを構築すればよいという考えに至った。目の前にいる人が次に何を求めるのかをデータを用い、AIが考え、スタッフに指示を出す。悔しいことではあるが、利用者のためを考えるとAIに人が指示されて動く、そんな時代が来るのだろう。現在しょうわではこのようなシステムの構築を行っている。「あなたは次にこうしてください」とAIが指示を出す。介護はひと相手の仕事だからITもAIもなじまないと考えていたが、よくよく考えてみると介護は生産現場と何も変わらないということにわたしは気付いた。こう書くと「それでは一斉介護ではないか」ご指摘を受けるだろう。時間になったらおむつを交換することと、流れてきた物に同じ部品を取り付ける作業のどこが違うのかと。しかし、しょうわが今作っているシステムは、流れてくる物にどの部品を、どのように取り付けたらいいかという指示を出すというもので、同じ部品をただ繰り返し取り付ける作業とは全く違うものだ。
このようなシステムを運用するためには、システムを使いこなせる人材が必要になる。この人材は教育しなければならない。すべてがITやAIに置き換えることはできない。ITやAIを使いこなす人材を育成しなければならない。この人材は自ら「考え」「行動する」できる人でなければならない。現在その人材の育成を行っている。
事務作業では近い将来多くの業務でAIが人と置き換わっていくといわれている。自動車の組立工程が人からロボットに置き換わっていったように、今後おそらく他の多くの産業でも人がAIに取って代わられる時代が到来するだろう。介護業界でも同様のことが起こる。厚生労働省はケアプラン作成にAIを導入しようとしている。これはそう難しいことではない。ただ、介護は対人相手の仕事であるから、完全にロボットに置き換わることは無いだろう。ひとの手のぬくもりは必要で、必ず残る。最終工程は人の手でなければならない。しかし、人が何をすればいいかを考え、指示を出すのはAI になるだろう。
4月にはシステムが稼働する予定になっている。その後およそ1年かけデータを収集し、AIを活用して、目の前にいる利用者に今、何をすればよいか。誰でも同じ行動がとれるシステムが稼働する予定になっている。
決められたことを時間で行う「スタッフのための一斉介助」から、「利用者のために今なにをすべきか」という随時介助に世の中が転換しなければならないとわたしは思う。
令和2年はもう一度「随時介護」を追求していきたいと思っている。