不登校や、閉じこもりの相談に対して、「無理をさせないで、本人には本人なりの考えがあるのだから、しばらく様子を見ましょう」これが精神科医としてのベターな回答でしょう。しかしその成れの果てとして、30代、40代のフリーター、ニートがいて、その人たちを見ていると、「親はこれからどうするのだろう」と考えさせられます。親が傍にいなくなったとき、この人たちはどうやって生きていくのだろう。10年閉じこもった大の大人を、どこの企業が好き好んで雇うでしょう。
 「再チャレンジ」という言葉が声高に唱えられる昨今。でも、それなりの準備をしていた人にしか「再チャレンジ」の機会はありません。「様子を見ましょう」という精神科医の言葉に騙され、「再チャレンジ」の機会を逸してしまった人たちに何ができるのでしょう。
 まあ所詮、医者は他人事。自分の子どもに同じことが言えるかといえば、絶対言えないでしょう。閉じこもる子どもに対して苛立ち、いつしか怒りになり。何故なら子どもを育てる義務があるから、親としては他人事では済まされません。
 しょうわは大規模な施設です。増改築の結果さらに大きくなりました。職員も増やさなければなりません。ところで、組織が大きくなると、職員一人ひとりに十分な目配りができなくなります。職員からすれば、大勢の中の一人として埋没してしまいます。そこに「誰かがやるだろう」、そんな心の隙間ができます。ここから他人事が始まるのでしょう。他人事は気楽なものです。でも、他人事は充実感がありません。仕方がないと割り切ってしまえばいいのでしょうが、他人事からは何も生まれません。
 諦めることはいつでもできます。でも、それでいいですか。
 毎日が充実するように。自分事として、今を生きるために。

まず夢をもて 夢こそすべての始まりとなる ~座右の良寛より~